3か月


2011年6月11日


震災から3か月。

私が暮らす町は液状化現象で、

あちこちデコボコになりましたが、今はほとんど修復されました。


美しかったタイル張りの道は所々、黒いアスファルトに代わりました。

町が負った傷跡に見えます。

きっと、人だけでなく、町もこわかっただろうと思います。

だって、地面から、大量の水と土砂が噴き出すんですもの。


少し、出産に似ているのかもしれないと思いました。

息子を産む直前、陣痛がひどくなった時、

これから自分はどうなっちゃうのだろうと、

恐怖を感じたのを覚えています。


でも、自分の体の中で起きていることですから、逃げられません。

とにかく「産み出す」だけだと覚悟を決めたら、怖さはどこかへ行ってしまいました。

そうして、恐怖を経た後に息子が産まれ、

言葉にできない喜びに包まれました。


地震は生きている者にとっては恐ろしいことですが、

大地にとっては出産のようなものなのかなあと、思います。

つらくて怖いけれど、

新しいなにかを産み出すために感じなくてはならない痛み……。



出産時は、亡くなった母のことも思い出しました。

母はいつでも心にいるのですが、その時はとても強く浮かびました。

亡くなった命と、これから産まれる命に、なんらかの共通点を感じたのかもしれません。


母が亡くなったのは、私が大学生の時でした。

心にぽっかり穴があいてしまって、なにをどう考えたらいいのか、わからなくなりました。

ただただ、母の代わりにやらなければならないことを、毎日なぞってやりました。


そうして、私が一歩も動けないでいる間、

友人達は新たな目標を見つけて、前へ進んでいるように見えました。

どんどん、とり残されていくようなさみしさと、

どこにも足場がないような不安や、孤独を感じました。


今、被災地でも、そんな気持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか。


被災した方々の状況は一人一人違っていて、

当然、向き合う問題も異なるでしょう。


日常に戻った私が、被災地に向かって言えることは何ひとつありません。

でも、信じたいこと、願っていることがあります。


失ったものは大きいけれど、新たに得られるものも必ずある、と。






katuo,ari sasaki